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2021/4 読書月記

  • 推し、燃ゆ

推し、燃ゆ

芥川賞受賞作ということで気になって手に取りました。

(明記はされていませんが)発達障害により学校やアルバイトなどの日常生活がままならず、アイドルを推すことだけを生きがいと感じている主人公の心情を生々しく描いています。SNSネイティブの世代の肌感覚をとてもよく表現していると思います。何をしてもなぜかうまくいかない、現実と自分との間が一枚の膜で隔てられているような日常の手触りと、推しが見せてくれるキラキラした世界の鮮やかな対照が印象的です。

推しが結婚してアイドルを引退した後、ベランダで洗濯物を干している彼の奥さんらしき人を見て、自分が大量に集めたCDや写真よりもたった一枚の洗濯物が彼という人間の現在を語っているようで胸が苦しくなった、というようなシーンが印象的でした。生身の人間を推すことの苦しさを垣間見たような気がしました。

 

  • これからの「正義」の話をしよう

これからの「正義」の話をしよう ──いまを生き延びるための哲学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

だいぶ前にベストセラーになっていた本です。

政治において「正義」や「道徳」という言葉が出てきたら、少なくとも私は警戒感を抱きます。何が正しいかを権力者が決めることの恐ろしさは、多くの人が歴史から理解しているはずです。その反省から現在では、政治は価値の基準から切り離し、市場に任せてはいけない最低限の機能のみを持たせるという考えのもとに運用されています。

しかし本当にそれでよいのだろうか?と著者は問いかけています。市場に任せてはいけないものが市場で取引されてはいないか。政治は本当に宗教や愛国心と切り離せるのか。結論に賛同できるかどうかは別として、この本のもととなったハーバード大学の講義に参加しているような感覚で、普段曖昧なままにしている「正しさ」を突き詰めていく実験に参加できるのがとても面白いです。 

 

何が正しいかを突き詰めるのはとても難しいことです。私たちは正義について考える時、感覚的な結論ありきで、もっともらしい根拠を付け加えてしまうからです。

有名な思考実験としてトロッコ問題というのがあります。

目の前にブレーキのきかないトロッコがある。トロッコがそのまま進めばその先で作業している5人が死ぬが、あなたは今たまたまトロッコの進路を切り替えるレバーを握っていて、そのレバーを引けば切り替え先で作業している1人だけが死ぬ。あなたはそのレバーを引いて進路を切り替えるべきか?

こう聞かれると、5人死ぬか1人死ぬかを選べるのなら後者を選ぶのが正しいような気がします。より多くの人を救える方が正しい。とても合理的に聞こえます。

では、条件を少し変えてみて、

崖の下にブレーキのきかないトロッコがある。そのまま進めばその先で作業している5人が死ぬ。崖の上にいるあなたにはそれを止める術がないが、たまたま隣にとても太った人がいて、その人を崖から突き落とせばトロッコは確実に止まる(あなた自身は痩せているので飛び降りてもトロッコを止めることができない)。あなたはその人を崖から突き落とすべきか?

この状況だと、その人を突き落とすのはいかにも残酷でやってはいけないことだ、という感覚になります。なぜなら、たとえ人を救うためという正当な理由があっても、本人の意思に反して無実の人を殺してはいけないから。

5人死ぬか1人死ぬかの選択という意味では先の事例と変わらないのに、結論が変わってしまいました。なぜでしょうか。一つ目の事例で進路の切り替え先で作業していた人もその時たまたまそこにいただけで、人を救うために犠牲になるつもりなんて毛頭なく、崖の上に立っていた人と何も事情は変わらないはずなのに。

ロッコの事例は、直接的に手を下すことと、そのような状況を間接的に作り出すことに対する心理的な抵抗感の違いを教えてくれます。私たちは「より多くの人を救える方が正しい」という単純なルールだけではなく、どこかで何か他の「正義」を持ち出して価値判断をしているのです。

 

これまではこんなことを考える機会もなかったのですが、今のコロナ禍で、自分が何を正しいと思っているか、どこかで態度を明確にしなければならないと感じることがあります。例えば、厳しいロックダウンにより高齢者の感染症での死亡を防ぐべきか、感染リスクとある程度付き合って経済を回し、現役世代の失業者を減らすべきなのか。

誰もが「何が正しいか」を考えて行動する必要に迫られていて、そういう意味ではとてもタイムリーな時期にこの本を読んだように思います。